ひとり陰湿

感覚がくにゃりと曲がる

たとえば小説とか漫画、映画で感動した、というとき、それはほとんどの場合、そのストーリーに感動したということになる。

だれそれが死んじゃって悲しいとか、やっと結びついた男女とか。音楽で感動したとか、名曲と感じるのも、 やっぱりその詞の内容に感情移入しているケースが多い。そういうのを抜きにして、音に感動した、アレンジに心奪われた、というのは自分の中でほとんどない。

だから音楽について語るのはとても難しい。この「ひとり陰湿」の一発目の記事は、いちご水という歌についてだったが、あれも歌詞の内容についてだから、自分の中でのカテゴリーは、文章について書いたことになる。ということで、今回はがんばって音楽について書く。

スティーリー・ダンは不思議な魅力を持ったバンドだ。

ロックでありながらジャズ的要素を持ち、演奏は完璧を極める。その一方で、歌詞の内容は少々難解でマニアックだ。太田はインストの音楽に飽きてくると、よくこのバンドのアルバムを聞く。

このバンドのアルバムで”Two Against Nature”というのがあるのだが、そのラストの曲を聞くたびに奇妙な気分になる。初めて聞いたときは、なんか単調な曲だな、と思った。このバンドの曲はリズムや曲調がひねられているものが多い。それがこの曲に関しては、ずっと同じような調子で流れていく。そして後奏のサックスソロがやたらと長い。長いのはいいとしても、バッキングがひたすら同じようなことを繰り返している。

でもその単調なバッキングが妙に引っかかるのだ。何か肩透かしを食らっているような気分になる。何でだろう、と聞き込んでいたら、コード進行が奇妙なことに気づいた。もちろん太田は音楽にそんなに詳しくはないので、専門的にコードがどうとかは説明できない。けれど、今まで自分が聞いてきた、様々な音楽の常套的な”流れ”から外れるのだ。たとえば車の助手席に乗っていて、運転者がいきなり横道に外れるような感じだ。これが実に気持ち悪い。なんだか急に自分の足元がガラガラと崩れるような錯覚に陥ってしまう。そしてそれがサックスの音とともに、呪術的に何度も何度も繰り返されるのだ。

それがだんだんと癖になってしまった。聞くたびに自分の感覚のどこかがくにゃりと曲がってしまっているのがわかる。そういう気分にさせる曲って他にはない。

この話にはオマケがあります
(2009年1月01日更新)

by 太田ルイージ

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