ひとり陰湿

ブルーハーツ再考

10代の頃ブルーハーツをよく聞いた。

そのころ、すでにブルーハーツは解散していたが、文化祭と言えばリンダリンダだったし、まわりに聞いている人は多かった。ブルーハーツは偉大で、今なおいろんなミュージシャンに影響を与え続けるバンドだ。だが、個人的にそこまで魅力的には感じなかった。歌詞も音楽もストレートで激しいな、と思うくらいだった。

でも最近改めて聞いてみてふと、ブルーハーツがリアルタイムで歌っていたとき、どんな時代だったのだろう、と考えた。おそらく今よりも、いろんなことが定まっていなくて、舗装される前の道路みたいにでこぼことしていたのだろう。差別や戦争が身近にあって、それをみんなで反抗しながら、世界を変えていったのだ。

だけど今は違う。ブルーハーツを聞いていると、今自分が生きている世界があまりに整いすぎているように感じる。正しいことと間違ったことの区別は一段落し、その境界に議論の余地はない。差別や戦争は今でもあるけど、それをほったらかしにしても、自分の生活を脅かすほどのものではない。もちろん”名誉白人”なんてものは存在しない。必要な情報はすぐに手に入るし、おかげでひとりでも退屈することはない。

完成された世界なら、もう世界を変える必要はない。それにあわせて自分を変えるしかない。懸命に自分を変え、そして自分に反抗した。だから、とてもつらかった。

不謹慎だけど、身近に差別や戦争のあった、ブルーハーツの時代のほうが、時にはうらやましく感じる。

(2009年1月01日更新)

by 太田ルイージ

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