
ひねくれ者として
この「ひとり陰湿」の記事をいくつか読んでいただいた方には、太田がとてもひねくれた、変なやつだ、ということがわかると思う。
物心ついたときから、人を驚かせたり、笑わせたりするのが好きだった。今でもたまに物陰に隠れて、友人や家族を驚かせたりする。そういうことをやっていると、当たり前だけど、うまくいくときもあれば、いかないこともある。太田は理屈っぽい性格なので、何でそうなるのかな、ということをいつもぼんやり考えていた。
人が驚いたり、笑ったりするのは自分の予想を超えた出来事に直面するからである。いきなり空から牛肉が降ってくれば、誰だって驚く。じゃあ、どういうことがその人にとって予想外なのか。もちろんいつも空から牛肉を降らせれば、驚くだろうけど、そのために何度もヘリコプターをチャーターするわけにもいかない。そうなると、ちょっとした言動や行動で相手の意表をつけばいいのだ。もちろんそういうのってセンスとかが大事だよね、て結論になるだろう。でももう少し掘り下げてみて、どうすれば意表をつけるのか、というのを考えてみた。
結論として、何が意表をつく行為になるか、を考えるには、まず「何が意表をつかないか」を考える必要があると思った。意表をつかない、つまりなんでもない普通のことですね。なんでもないことだから、別に簡単じゃん、と思うかもしれない。けれど一口に普通と言ったって、人によって変わるし、時と場所によって変わるし、付き合い方によって変わる。普通とか定番とかいうのは実体のないものだから、捕らえるのは難しい。少なくとも、太田は今までの経験でそう思った。
そう考えると、ピッチャーがバッターを三振を取るために配球を組み立てる、というのに似ている。だから太田は普段から、ひとつの出来事があって、まず多くの人は何を思うのか、ということを意識している。それがわかったら、そこをはずしたり、ま逆のことを言うようにしている。だから太田は普通の人でありたいと思う。
とまあ、こんな風に考える時点で、十分変な人だな、と思われるだろうし、自分でも思う。
by 太田ルイージ