ひとり陰湿

長いお話

ここでいう”長いお話”というのは物語のことであって校長先生の話ではない。また、何百ページもある、何十巻も単行本がある、といった物理的な量のことを指すわけでもない。話の中で経過した時間の長さのことを指している。つまり、主人公の半生を綴った話ですね。

長い話を読むと、いつのまにかその世界に寄り添ってしまう。はまりこむ、と言うのとは少し違う。おもしろいかどうかを考えるより前に、何となくくっついていってしまう。読み終えると、随分長い旅行に出掛けていたような気分になる。途中で主人公の何もかもを知ったような気になり、その人物そのものになってしまうか、思い切り拒絶するかの選択を迫られる。「こいつのこと分からないでもないなあ・・・」みたいな、中途半端な距離を保って読み進むことができなくなる。もちろん作品としての出来不出来はあるだろう。でも、半生という長い期間を描くのは、話としての体裁を整えるだけでも大変だ。野球に例えるなら、ピッチャーが9回を投げきって打者を押さえ込むようなものだ。スタミナと、集中力と、我慢強さがなければ形にすらならない。

最近は、漫画では手塚治虫の「シュマリ」を読んだ。手塚作品は明治の初めの北海道を舞台にした話だけど、途中で主人公に子どもができて、赤ん坊だったのが最後は大学生になっていた。手塚治虫は、話に対しての客観性がものすごい。物語に私情を挟まないというか。その特長がものすごくよく作用していた。

小説ではティム・オブライエンの「ニュークリアエイジ」を読んだ。これは現在と過去がいったりきたりしながら、主人公の子ども時代の出来事から丁寧にフォローされている。話の前半では理解不能だった行動を、ゆっくりと解き明かしていくような感じだ。ほとんどの登場人物の印象が、員最初と最後で違っていた。

(2009年1月01日更新)

by 太田ルイージ

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