
怖いもの
子どもの頃夜中に目を覚めると、たまに見知らぬ人が1メートルくらい先から、こちらをじっと見ていることがあった。なんだこいつは、と思いながら見続けていると、それはやがて、たたまれて積まれた衣類のシワ加減や陰影ででたまたま人の顔のように見えたことに気付いた。
もともと人の頭の構造上、それっぽい並びや陰影はみんな人の顔に見えてしまう、と言うが、もちろん当時の太田はそんなことは知らない。だから正体のわかる何秒感は、本気で幽霊だと思っていた。もちろん怖い。
でもそういうことが繰り返されると、いきなり見知らぬ顔が目の前にあっても焦らず、一体何が人の顔に見えるのかな、と楽しむ余裕が出てきた。さらにこの年齢になってからは、そういうのを見るのはおろか、いちいち夜中に見たものを覚えてもいられなくなった。というか夜中に起きない。
子どもの頃はリアルなことと、そうでないことがいちいちごっちゃになるので、怖いことがたくさんあった。お化けや宇宙人、ノストラダムスの予言から壁の木目、ゲゲゲの鬼太郎のエンディングに至るまで、たくさん怖いものがあった。不安な気持ちの夜は、親が先に寝てしまうと、一人ぼっちな気がして、その恐怖はさらに増した。だからそういう夜は、一緒に添い寝してもらうよりも、別の部屋でもいいから起きててもらう方が安心した。
大人になった今は、そういう感覚は全くない。怖いものがよりも憂鬱なものの方が多くなり、しかも先のものや小さなものは区別して、とりあえず保留(後回し)や無視ができる。おかげで怖いものが、結構なくなったので助かる。もちろんおもしろいものも楽しいものも、結構なくなったのだろうけど、まあとりあえず保留にする(考えない)。
(2009年1月01日更新)
by 太田ルイージ