
マンツーマン授業の思い出
マンツーマン授業を受けたことがある、という人は少なくないだろう。しかし本来は一対多の授業が想定されているのにもかかわらず、成り行きや状況によって、結果的にマンツーマン授業になってしまった、というケースは経験あるだろうか?
大学3年の時、科目名からして難解そうな授業があって、ふと出来心でそれをとった。多分同じ時間にとりたい授業がなかったとかそいういう理由で選んだのだろう。教室に行ってみると、10人弱の学生しかいない。そして初日からいきなりテストをやらされた。テストが終ると、初老の教授は優しそうな顔をしながら、自分の授業はレベルが高い。単位を取るためには、テストで点を取るのはもちろん、出席率も良くなければいけない、とあっさり話した。つまり、それなりの覚悟がなければパスできないということだ。案の定2回目以降、授業を受ける人はガクンと減り、太田が行った時も4、5人しか生徒はいなかった。太田も夏の試験までに、2、3回しか授業に出なかった。当然ながら単位は落とした。
しかし夏休みが明け、後期の授業が始まると、どうせとれなくても授業だけは出てみようという気持ちになった。どうせさぼったとしても、他にやることなんてないのだ。
久しぶりに顔を出してみると、生徒は太田しかいなかった。以前から生徒の数は少なかったが、まさか1人になるなんて・・・とかなりびっくりしたが、教授は何事もないように授業を始めた。生徒がひとりという時も珍しくないのだろう。だがそれ以降、ほとんどの授業を太田ひとりで受けることとなった。自分が最後のひとりだと思うと、とにかく出ないわけにはいかない。覚えているかぎり太田は一度も欠席をしなかった。
という変な使命感に燃え、授業に出たからといって、何がわかるようになるわけでもない。黒板の内容をノートに写しても、予習も復習もしないので、ちっとも理解は進まない。本当に宇宙語で授業を受けているようなものだ。何か質問をされても、まるで答えられない。向こうからしたら、まるで教え甲斐のない生徒である。しかしそれでも毎週1対1で顔を合わせていると、徐々に打ち解け、授業の合間に関係ない話が聞けるようになった。嘘か本当か知らないけど、この教授は、論文の提出が遅れたせいでノーベル賞をとりそこねたらしい。
また、1対1というのは、どちらかが来なければ授業自体が成立しない。ある時太田が10分くらい遅れていくと、教授は片肘をつきながら外を眺めていた。太田が教室に入ってきたことに気づくと、「寒くなってきましたね」と一言言った。このときは言葉以上のものを感じないわけにはいかなかった。
そんな感じで、勝手に一蓮托生と思いながら授業を聞いていると、少しずつその内容がわかるようになってきた。難解な授業と言っても、なんだかんだ聞いていればわかるようになるんだな、と思ったが、注意して聞いていると、実は太田のレベルが上がったのではなく、授業のレベルが下がってきていることに気づいた。こちらが恥も知らずに「わかりません」を連発するので、教授の方が愛想を尽かしたのだ。ようやくマンツーマンのメリットが出てきたな、と図々しく思ったが、それでも8割以上はなんのことだかさっぱりわからない。
そんなこんなで時が流れ、試験が近くなると、授業の内容は当然試験の出題範囲の話となる。しかし、試験の範囲を言われても、何が何だかさっぱりわからない。馬鹿丸出しでぽかんとしていると、教授は具体的に出題する問題を黒板に書いた。それでも問題を見たところで何を答えればいいのかもわからない。話している言葉の意味すら理解できないというレベルなのだ。さすがにこれは単位取るのは無理だな、とあきらめかけていると、教授はそんな気持ちを察知したのか、今度は黒板に答えを書き、「とりあえずこうやって書けば単位やるから」と言ってきた。もうヤケになってしまったのだろうか。なんとなく恥ずかしかったが、それをノートに写し、試験当日そのまま書いた。そして当たり前のように単位が取れた。おそらくその時、単位を取れたのは太田ひとりだったと思う。
”マンツーマン”と聞く度にその時のことを思い出す。今でも教授はあの難解な授業を続けているのだろうか?思い出してみると、生徒が少ないことを愚痴っている時が結構あったけど。
by 太田ルイージ