
自分を変えるって
昔からけっこう気分屋で、すぐ飽きるしすぐあきらめる性格だった。楽しい気分で遊んでいても、ちょっとしたことが気にくわなくて、不機嫌になったりした。それとよくあったのが、どこかに出かけるときに、例えば寝坊して乗るはずの電車を逃したとか、そういうことがあると、何もかもが急にどうでもよくなって家に帰るということだ。友達の家で遊んでいて、トイレに行くふりしてそのまま帰ってしまったこともある。もちろん、理由はあるし、それを話せばいいのかもしれないが、そういうことを喋ることすら億劫になってしまうのである。面倒なのは嫌なのだ。例えば1対1とか人数が少くて、明らかにトラブルに繋がりそうな時はさすがに我慢したけど。
そういうのは、小学校の高学年くらいから始まって、大学時代が一番ひどかったように思う。でもその頃は、それほどひどいことをしているとは思わなかった。表立ってトラブルを起こしてやるつもりはなかったので、周りの人にもそこまで無責任な人間だと思われてなかったと思う。自分でも、多少の後ろめたさはあったけど、1日経ったらすっかり忘れていた。
その頃の自分の態度から考えると、よく今は仕事なんかやっているよな、と思う時がある。滑稽と言うとおかしいけど、毎日律儀に電車に揺られて会社に行くなんて、なんだか不思議な気がする。以前なら、いつ頭のねじが外れて、(例えば、駅に降り立ったら小雨がぱらついていて、傘も持っていない)もういいや、帰ろう、となってもおかしくない。でもそういうことは今のところ起きないので、太田も変わったんだな、大人になったんだな、と我ながら思う。
でも変わったというと、なんだかしっくり来ない。というより、今でも気分屋の太田は、自分の中に存在している。そして、小雨のぱらつく駅前で、何もかもがどうでもよくなって、家に帰っているのだ。うまく言えないけど、今はそういうことが現実にならないだけだ。そういう行為が、自分の行動の選択肢に挙がらないというか。
結局、成長する、変わっていくというのは、元々ある自分の上に、新しい自分を塗りたくっていくような行為なんだと思う。当然塗りが甘ければ、何かの拍子に、古い部分が顔を出すし、うまくいけば、古い部分と混ざり合って、いい感じになるかもしれない。
そうじゃなくて、作り替えていく、というやり方だと、とてもきつい感じがする。あくまでイメージとか、考え方の話ですが。
by 太田ルイージ
ネジ
2009/06/08 15:07太田さんの話は気持ちの楽にしてくれますね。 ありがとうございます。