ひとり陰湿

青春の終わり

青春がいつ終わったかについて、太田の場合割とはっきりしている。それは桑田佳祐の「孤独の太陽」を聴かなくなったときだ。

初めて聴いたのは中学生のときで、友人に勧められて買った。人にいいよ、と勧められて、本当に良かったという例は少ないけれど、孤独の太陽は最初から良かった。というかぶっ飛んだ。1曲目の「漫画ドリーム」のアコースティックギターをかき鳴らす音が耳に入ったとたん、今まで聴いた音楽のどれとも違うということを感じた。しゃべくりまくる早口の歌詞を必死に聞き取り、それが世の中を皮肉っていることがわかると、いよいよこの歌は自分のためにあるような気がした。暗くて救いがなくてエネルギーが溢れている。胡散臭い希望や、薄っぺらいラブストーリーは皆無だ。

毎日のように聴いた。最初のインパクトは「漫画ドリーム」と「僕のお父さん」が強かった。歌詞で言えば「飛べないモスキート」「鏡」が自分好みだった。「太陽が消えた街」「しゃあない節」はよく口ずさんだ。

そんな風に、「孤独の太陽」は長い間自分にとっての特別なアルバムだった。

でも大学を卒業する頃のある日、ここしばらく聞いていないということに気付いた。そしてその瞬間、これから先、もう以前のような気持ちでは聴けないだろうということを悟った。いつのまにか何かが通りすぎ、自分の中で何かが変わっていた。それはすごく寂しいことのような気がした。しばらくしてそれが青春の終わりだったんだと思った。

もちろんその後も、気が向いた時などに聴いたりしたが、もう以前のような衝撃も、親近感も沸いてくるようなことはなく、他の音楽を聴くのと全く同じになってしまった。けれど最近になって、ある曲が妙に心に残ることに気づいた。それはアルバムのタイトルど同名の「孤独の太陽」だった。その曲は、かつて聴き込んでいた頃にはそれほど魅力を感じなかった曲だった。でもその曲の持つもの悲しさが、心の中をじわりとさせた。かつての太田は、その曲の歌詞に出てくるような人間ではなかったが、それでもその曲の中に、かつての自分を見出さないわけにはいかなかった。

(2009年6月19日更新)

by 太田ルイージ

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