ひとり陰湿

食べ物と表現

手塚治虫の漫画に火の鳥という作品がある。あまりに有名だから説明する必要ないけど、手塚治虫の代表作のひとつだ。「火の鳥」は全部で13巻くらいあるが、その中の鳳凰編という奈良時代を舞台にした話がある。全体のストーリーは文句なくすばらしい。だが、その中で食べ物に関してかなり気に入っているシーンがある。

主人公の我王という男がある寺で、そこに奉納されていた宝物を盗んだという無実の罪を着せられ、拷問を受ける。だが2年後、真犯人が別の人間だとわかり、寺の坊主は慌てて我王を牢から出し、風呂に入れさせ、飯をご馳走する。周りの人は我王があまりに穏やかな様子なので驚いた。我王は怒るわけでもなく、黙って漬物をこりこり食べている。

この「こりこり」という音を聞くと、無性にキュウリの浅漬けが食べたくなる。もう気持ちが我王という男になりきってしまう。2年間も無実の罪で苦しんで、信頼してた人にも裏切られ、厳しい拷問を受けさせられる。拷問を受けるくらいだから、食事だってまともなものが与えられる筈もない。やっと疑いが晴れ、久しぶりにちゃんとした食事が取れるとしたら、それはどんな味なのかと想像させられる。また、これが決して豪華な食事などではなく、寺の出す質素な精進料理なのもいい。寺の中は、こりこりとたくあんを噛む音が響くくらいのどかで、静かなのだ。本当に味わって食べているんだということが伝わってくる。

要するにシチュエーションにやられちゃうのだ。料理、食事をテーマにした漫画は数多くあるけれど、見てるものの食欲をそそらなかったら描く意味はないような気がする。「火の鳥」は料理がテーマの話ではないけど、この我王が漬物をこりこり食べるシーンはかなりそそられる。

食べ物の絡んだシチュエーションといったら、もう一つ印象深い作品がある。何年か前にたまたま見ていた、タイトルも主演も覚えていないTVドラマなのだが、その中で家族が主人公(女)の誕生日を祝おう、という話があった。そのとき主人公とお父さんが、多分前々から仲が悪かったんだろうけど、大ゲンカをしてしまう。主人公は怒って、家を飛び出した。残された家族は「あーあ」て感じで残った料理やケーキを片付けるのだが、お父さん(おそらく蟹江敬三)は一人泣きながらケーキを食べている。本当に涙をぽろぽろこぼしながら。

これは見ながら本当に泣きそうになってしまった。大の男がケーキを食べながら涙をこぼすなんて、寂しすぎる。おそらく普段からケンカの絶えない父娘なんだろうけど、誕生日のときくらいそれを忘れて笑いながら食卓を囲もうと思ったのだろう。でもやっぱりうまくいかなくて、お父さんは期待してたぶんだけがっかりして、もう胸が詰まってしまったのだ。

これがケーキだから尚更切ない。ケーキはやっぱりめでたい時に食べるものだから、暗い気持ちで食べてたらより一層悲壮感が出る。それをさらに中年のおじさんがやる。演技した人も、演出した人も身震いするくらいすごい。

愛した人とくっついた、離れたとか、生きる、死ぬみたいな話はいっぱいある。けれど、こんな風にちょっとした演出で一気に見るものを引き込むようなドラマや漫画がもっとあればいいのにな、と思う。

別に「一杯のかけそば」みたいなのをもっと作れ、と言っているわけじゃないけど。

(2009年1月01日更新)

by 太田ルイージ

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