
恋愛もの
考えてみると、もうずいぶん映画館に行ってない。最後に観たのは「崖の上のポニョ」だから3年近く観ていない。ビデオもたまに借りるけど、観ないで返すことが多い。前にも言ったけど、テレビの前にじっと座っているのが苦手なのだ。
映画が嫌い、という考えは全くないけど、基本的にシリアスなストーリー程観るのはしんどい。特に日本の恋愛映画は全くダメで、なんで泣けるのか全然わからない。「世界の中心で愛を叫ぶ」では主人公が叫ぶ場面で、一気に気持ちが引いたし、別の映画(タイトル忘れた)では、恋人だか奥さんが死にゆく場面が、おかしくて仕方なかった。おかしかったけど、周りはすすり泣く声ばかりだったので、笑いをこらえるのが大変だった。もちろん、死んでしまうのが愉快なのではない。観客を泣かせようとする演出が、どうしてもわざとらしく見えてしまい、それがおかしいのだ。つまり作品の世界に入っていけないのだ。
だから、自分は「恋愛ものの話」が苦手だと思っていたのだが、どうやらそうでもないことが最近わかった。先日、舞城王太郎の小説「好き好き大好き超愛してる」を読んだのだが、これが恋人が癌で死んじゃって・・・という絵に描いたような恋愛話なのだ。上記のパターンで言えば、いよいよ抗がん剤が効かなくなって、為す術なくて・・・という場面で、大笑いしなければならない。しかし、とにかく切なくて、泣きそうになってしまった。自分の大切な人全てに、死なないでね、と念を押したい気分になった。もちろんいつものように、笑えなかったのは、この作品が特別に素晴らしかった、自分の「泣き」の感性にフィットしたからだ、と言えるかもしれない。しかし、思い返すと、昔「いちご同盟」を読んだときも、同じように泣きそうになっていたような気がする。つまり小説だと、割と素直に悲しくなってしまうのである。
何故、映画と小説で反応が違うのか。それは簡単で、自分が小説によって物語を楽しむ方が、好きだからである。小説のいいところは、「僕」が出てくれば、そこに自分を重ねることができるし「僕の恋人、好きな人」は自分の100%好きな人にできることだ。もちろん、文章で描写がされているので、全く重ねるのは不可能なのだが、自分の頭の中で再現するときは、自分に都合よくアレンジして、細かい部分は無視してしまうことができる。
だから、当然ながらその恋人が死ねば、自分の一部が失われたような気持ちになる。心臓を鷲掴みされたように苦しくなり、身動きがとれず、ただページをめくり、ストーリーを進めることしかできない。やがて読み終わり、微かな余韻に浸りながら、少しずつ現実に戻っていく。
こんな風にストーリーに入っていけば、泣いてしまうのも無理ない。そして人によって、このプロセスをたどるための媒体が違うのだろうね。太田はそれが小説だったわけで、人によっては舞台だったり、映画だったり、それら全部だったりするのだろう。でも、この小説を読むまで、自分が「恋愛もの」を読んで、泣ける人間だとは思わなかった。自分のことなのに、わからないことってたくさんあるんだね。
by 太田ルイージ
コメント
ayaco
2010/04/19 23:19はい、わからないことだらけです。でも、新しい発見があった時、たとえそれがよくないことでも嬉しかったりします。
あかとあお
2010/04/20 00:47あなたがぼくの書いた恋愛作文を見て、どれで爆笑するのかが気になりました。きっとこれは意図的に書いた物だなと、すぐにばれそうだけど(笑)
たけの子
2010/04/20 01:28キャラクターのビジュアルが見えている映画ではなかなか感情移入できないのかもしれませんね。 私はあからさまな演出でも泣いてしまうんですけど。
tzwueebgwp
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しの
2010/04/19 22:47わかります。。とても。。