いちご水を入れた 透明なビン
それを突き抜けた光が
真白な壁に 薄いピンクの
影を映し出し 君はそっと
手を伸ばして それにさわろうとしている
とても自然なことさ
自分にとってこれ以上の詞はないと思える。
シンプルで幻想的で、耽美的。そして目の前に情景が映し出されるかような表現。まったく非の打ち所がない。まるで一枚の絵画を見ているようだ。
しかし、そもそも「いちご水」とはなんなのか。いちごミルクではないだろう。水にいちごを溶かしたものなのか。そんなもの飲んだことはないし、あまり美味しそうではない。さらにそれを光にかざしてピンク色の影ができるのだろうか。
私にはそう都合よくはできないと思う。でも、だからこそ、この詞は大きな力を持つのだ。この詞の世界は現実ではない。だから当然現実的なしがらみとか悩みは存在しないし、だからこそすべての罪が許される。真白な壁に映ったピンクの影は、ひたすら美しいし、それに手を伸ばす君は、限りなく純粋なのだ。この詞を読むたびに、たとえ何も持ってなくても人を愛せるし、むしろ何も持っていないことのほうが幸福なんだと思わされる。
ただ単純に目の前の美しいものに、手を伸ばせばいいんだし、そして美しいものを素直に美しいと言える人を愛すればいいのだ。
でも一方でそれは、実現不可能なことだと気づかされる。この詞は”理想の愛”を歌いながら、同時にそれが不可能なことを示している。”素直に人を愛せよ”と言いながら、本心では”素直に人を愛するなんてできないよ”と言ってる。
最後にくる「とても自然なことさ」という言葉がそう感じさせる。この締めの言葉はかなり絶妙だ。並みのJポップアーティストなら「そんな君を愛してる」とか「僕らはずっと一緒さ」みたいな陳腐な口説き文句に逃げてしまう。でもそこを踏みとどまって”自然なこと”という言葉が選ばれた。インパクトは弱い。最後に締める言葉としてはなんとなくぎこちない。そしてそのぎこちなさが、不自然さを強調しているのだ。
そのことが、詞の世界に奥行きを与えている。その隠れた現実性が私を惹きつけるのだ。
ちなみにこの「いちご水」はこんなに短い歌ではない。このあともさらに続き、サビも別にある。でも私がもっとも好きなのは上記の部分だ。だからそこだけ取り出して、その部分に対する思いを書いた。そういう意味でこれは批評として見れば偏ってるし、ある意味フェアでない。
でも好きというのはこういうことじゃないだろうか。