
助けてあげられなくてごめんね
あれからどれくらいたつのだろう、10年?もっと?あの時助けてあげられなくてごめんね。
君が男たちの手によって車両の連結部に閉じ込められている時、君が何も抵抗できずにされるがままの時、ぼくは何食わぬ顔で窓から外を見ていた。とても暑く、とても晴れていて、橋の上を通過するときに、河原で釣りをする少年たちの姿が見えた。
ぼくは男たちに閉じ込められたその中で、君が何をされているかを知っていた。ぼくは車両の比較的ドアに近い部分に立っていて、一番端のつり革をつかんでいた。つり革は完璧な円形をしていて、それが気に食わなくて、どこかしらが歪んでいるとか、とがった部分とかがあればいいのに、と思っていた。とにかく取っ掛かりがない。つるつるしていて気を抜くとすべり落ちてしまいそうで、恐ろしかった。もしすべり落ちたら、そのまま車外に放り出されてしまう。自分の背中が地面に思い切りたたきつけられる場面を想像して、ぼくは少し愉快な気持ちになった。
とくに感じなかったが、車内はきっと冷房がよく効いていないのだ。座席の銀の金属製の支柱は、つかんだらきっと脂っこくて、不潔で、ぬるぬるしているに違いない。息苦しい車内。きっと昨日が雨で少し涼しかったから、愚かな車掌が冷房を抑え目にしているんだ。こんな最悪の状況だから、次から次におかしな考えが浮かぶのに違いない。
ぼくの思考は男たちを殺すことに結論づいた。それは完全に決定された事実だった。正義だった。世界を救う鍵だった。非常用の消火器を取り出して、そっと近づき、それを後頭部に振り落とせばいい。殺すつもりでやればいい。もちろん男たち全員を殺すなんて不可能だ。でも、一人でも殴れれば、大騒ぎになって、他の客たちも動かなきゃならないだろうし、そうすれば彼女はそこから逃げ出すことができる。
でもぼくは動けなかった。なぜならこのつり革から手を離したら、電車の外へ放り出されてしまうからだ。そうしたら助けるどころではない。何もしないうちに舞台から引きずりおろされてしまう。命の危険もある。いや、でもそれはただの妄想だから手を離したって何も起きるわけないしだから愚かで不感症の車掌が冷房のつまみを最大にしないのが全ての元凶なのだ。
そして全てが手遅れになった。
君は全てを絶望して憎んで破壊したい気持ちになったに違いない。そして、その憎しみの全てをぼくに向けた。ぼくはぼくの罪から逃れたかったから、そう思いたかった。自分を責める理由がほしかった。
でも君は何も語らなかった。何事もないように電車を降りて、何事もないように階段を上り、途中で駆け込み乗車しようとする中年で腹が出ている眼鏡をかけたサラリーマンとすれ違い、何事もないように改札に定期を突っ込み、何事もないようにぼくと別れた。そして何も言わずにぼくの前から消えた。
それ以来彼女に会うことはなかった。ぼくは電車に乗り続け彼女と鉢合わせすることを望んだが、ついに会うことはなかった。時間が流れ、涼しくなると今度は冷房が効きすぎるようになった。車掌はどこまでいっても不感症なのだ。
仕方がないのでぼくは物語を書くことにした。彼女の憎しみを消さないために、ぼくは書き続けなければならない。
by 太田ルイージ
コメント
たけの子
2010/03/21 02:11とてもよいです。とても刺激されました。
310妻
2010/03/21 01:29良い出来だと思います。